百年目を迎えた現代。

新年おめでとうございます。今年が皆様にとって良い年になることを祈ります。

さて、若い頃の新年は文字通りわくわくしたもので、一直線に新しい世界に飛び込んでいったものですが、年を重ねると、過ぎ去っていった過去を振り返りながらの新年になります。つまり後ろを向きながら前に進んでいくような案配です。

そんなわけで自分の歩んできた八十年をつらつら振り返っているうちに、気づいたことがあります。現代はいつから始まったのか、ということです。

日本では現代の始まりを第二次大戦後からとする学者が多いようですが、英米では第一次大戦後からにする学者が主流のようです。日本にとっては憲法から政治経済体制すべてが一新したのだから第二次大戦後とする見方も頷けますが、戦勝国英米仏から見ると、第二次大戦は社会の枠組みを総替えしたわけではなく、価値観の転換が起きたわけでもない。それまであったことが、彼らの物差しから見て、正しかったということが立証されたに過ぎません。

それに比べ、第一次大戦は、人類がやらかした世界規模の初の大戦であり、オスマン帝国やハプスブルグ帝国を崩壊させたし、英国から米国へ覇権もシフトしました。

では、お前さんはどちらを取るのかと問われば、第一次大戦後をとります。帝国の崩壊だけではなく、石油文明が本格的に登場し、乗用車が普及もした。構造変化のスケールから見れば、第一次大戦後の方が大きいとみなすべきでしょう。

さて、第一次大戦後説を採るとなると、終わったのが一九一八年。二一八年の今年は、ちょうど現代が始まって百年目ということになるではありませんか。

となると、八十歳の僕は現代の八割を生きてきたことになります。大学を出て新聞社に入ったのは一九六年。それから数えると、五十八年間、つまり半世紀以上をジャーナリスト兼作家として時代を目撃してきたわけです。はるけくも来つるものかな、の感慨が湧こうというものですが、それよりも現代の八割を生きてきたものとして、社会がどのように変わりつつあるのか、その変化は望ましいものなのか、それとも好ましくないものなのかを見据え、発信していかなければならないという思いが募ります。

ことしも諫鼓かんこ鳥の原点に立ち戻り、いろいろと意見を申し上げるつもりです。どうか悪しからずお願いいたします。